アメリカ資本主義の発展の基礎 3
前者を代表してジェファソンが、後者の先鋒がアレクサンダー・ハミルトンでした。
アメリカが今日の開発途上国と同じように、植民地経済・・・
宗主国への原料・食糧の供給源としての従属的地位から離脱するためには、ジェファソンの農本主義的な考え方にとどまっているわけにはいかなかったのです。
しかし、南北戦争までは、工業化は急速に進みつつあったとはいえ、基本的にはアメリカは農業国にとどまっていたし、植民地経済から離脱しているとはいえなかったのです。
アメリカがイギリスからの真の経済的独立を求めて、より高い発展段階に向けてテイクオフするためには、資源産業ばかりではなく、インフラストラクチャーを充実し、製造工業、とりわけ輸入品依存から脱するための輸入代替産業を確立する必要がありました。
その成否を握るのが、資本や労働力ばかりでなく、新しい技術の導入であったことはいうまでもありません。
19世紀のアメリカは、基本的には農業国でした。
19世紀はじめには製造業は無に等しいものでした。
その労働人口に占める比率もわずか3%にすぎず、それも主として農林産物の加工でした。
独立後の1790年の人口は400万人足らずで、ヨーロッパの大国フランスの2700万人、イギリスの1400万人、スペインの1000万人に対し、及びもつかなかったのです。