終戦直後の農村 3
ところが何回交渉しても承諾の返事をもらえなかった。
当時の記録によれば地主との交渉談判は42回に及びましたが、貸してもらえなかった。
村の大人たちもそれは欲しいとは思うけれど、地主ににらまれ気嫌をそこねるとその先が恐ろしく、表向きは協力するという態度を誰一人とれませんでした。
私たちは、これ以上話しあいによる穏やかな交渉を何回重ねてもラチがあかないと考え、雪溶けの4月初めの雨の降る晩に、30人近い青年たちが藁ケラを着て地主の家に集団交渉のデモをかけました。
雨の降る晩の夜中に藁ケラを着た若者たちが30人も集団で押しかけたものですから大騒動になって、私は家宅侵入罪ということで訴えられ警寂だ引っぱられてしまいました。
私の子供のころは、今のように自動車自転車はなかった歩く時代でしたから、地主と小作人との関係は地主のダンナさんや奥さんが道を歩いていると、50メールごとにある電柱の1本分ぐらい前方から、服装を整えてあいさつをする準備をしたものです。
手ぬぐいでほっかむりしているときは冬でも取ってあいさつするというような時代でした。