終戦直後の農村 2
借りるというのは、今の高利貸よりも高いもので、1升借りてその年の秋に2升で返す。
そんな高利貸が農村の中にあったわけです。
恩賜郷倉は恩賜金で建てた米の保管倉庫で利子なしで夏米を貸す救済倉庫でした。
今流に言えば災害復旧の救済補助金みたいなものではなかったのでしょうか。
戦前は東北の各地にありました。
ところで私の村には大地主が3人いて、その3人の地主が村の政治を牛耳っていたわけです。
その恩賜金で米の保管倉を建て、そこに自分たちの米を積んで、夏枯れ期に困った農家に貸し付け、高い利子をとっていました。
戦後、米が統制になり、地主も米の保管ができなくなってその倉が遊休物になっていました。
私たちはそれに目をつけ、これを青年会館に開放してもらうことを考えつきました。
12坪くらいの広さの倉でしたから、青年の集まるところとしてもよいし部落の集会所としても大いに助かると考えたわけです。
そのころ、地主と交渉する人というのが誰もいなかった。
そこで私たち20歳前後の若者が地主に開放を求めて交渉をはじめたわけです。