終戦直後の農村
今から60年前の終戦直後の農村というのは、朝から晩まで働いてもまだ働きたりないという手労働の時代でした。
演劇のための練習時間は夜しかありません。
しかも指導者がいるわけでもない手作りの農村劇ですから、やくざ踊りとかやくざ芝居に拍手する人はいても、私たちの劇に拍手する人は少なかった。
それでも私たちは、村に生きる魂を農村劇にして演じながら訴え続けました。
それから30年後の昭和51年9月、農村劇からスタートした義民顕彰運動、・私の部落に義民名左衛門の顕彰碑をたてました。
そしてこれまで農運動や社会運動にたずさわってきた私たちの心の中には、この名左衛門の思想が生きてきたわけです。
私自身の生き方の中にもいろんな深いかかわりをもってくることになるのです。
私たちが農村劇、読書会、文化講座を開くときに自由に使える会場がないために、寺の本堂や神社の長床などを使ってろうそくを灯したところでやるしかなかったものです。
部落の中でこのような集会ができる会場が欲しいというのが私たちの希望でした。
私の村には恩寵郷蔵という倉がありました。
戦前から東北の農村はたびたび冷害に襲われ凶作に苦しみ、その年の夏に手持ちの米がない農家が多かった。
そのため多くの農家が夏米を借りるわけです。